社会と道徳現代論語 本郷青蛙道徳見聞録 TopPage

社会と道徳現代論語

類は友を呼ぶ

易経 繋辭上傳

方以類聚。物以羣分、吉凶生矣

 提示の原文は天と地の哲理を説いたものであるが、此処では簡便に現実社会に当て嵌めて考えてみよう。
 似たような傾向を持つ者は、自然に寄り集まるものである。また、気が合うものは自(おの)ずから集まるものである。
 同じような言葉は
牛は牛づれ馬は馬づれ
類は類を呼び友は友を呼ぶ
類は友を以って集まる
同類相求む
同性相親しむ
同気相求める

 この言葉は万物に通用する定理でもあります。
 その根底にあるものは、自分の身を処し易い所に身を置く事にあります。

 私は曾て詐欺師同然の人を知っていました。
 そうしますと、その人を訪ねてくる人は、どれもこれも似たり寄ったりで千三ツの人ばっかりです。ですから、それは家族にまで及び、奥さんもしたたか者です。矢鱈に口をきいたら損をさせられますから、配達が済んだら早々に立ち去ります。
 息子さんも大嘘つきで、息子の嫁さんも大嘘つきです。
 息子の嫁さんは、大嘘つきの家庭から嫁に来たのでしょうか?恐らく嫁さんと息子さんが気が合ったから結婚したのでしょう。そうでなかったら、近づきません。
 もし間違って嫁いでしまったのなら、言い掛かりを付けられて離縁されるのが落ちでしょう。
 若しくは、嫁さんが心を入れ替えて、嫁ぎ先の家族に合わせるのでしょう。その嫁さんが実家に帰ると、両親は娘の性格が変わったのに気づき、お前!性格が変わったねー!

 ただこういう人でも、世間ツラはとても好くて、善人の旦那さんと善人の奥さんです。ただ人目の付かないところで何をしているのか解りません。

 この人たちの判断基準は、善悪ではなくて「損得」だけです。

 これは酷い例ですが、善人には善人が集まり、金持ちには金持ちの友達が居て、銭無しには銭無しの友人が居ます。

 努力家には努力家の友人が居て、怠け者には怠け者の友人が居ます。

 お互いに小さな池に住んでいる魚のように、隣の池にどんな魚が住んでいるかハッキリとは知りません。濁った水に住む魚は、澄んだ水を知りませんし、澄んだ水に住む魚のこともあまり知りません。お互いに知らないのです。

 濁ったグループに住む人は、世の中の人は皆、濁っていると思っていますし、澄んだグループに住む人は、世の中の人は皆、住んでいると思っています。

 悪いことをしても謝罪しないことを理解できませんし、真っ当なことをしたのに謝罪を迫られることに理解できません。

表面的には同じに見えても、本質はこれ程に異なるのです。

 不幸な人は身内まで不幸せで、知り合いにも不幸な人が多い。
 幸せな人は身内も幸せで、知り合いは幸せ者が多い。
 不思議な気もするが、現実です!

 その原因は教養と人格、道徳心に有るのでしょう。一家の人格を換えるには、気が付いてから実行しても、三代は掛かるのです。
 祖父母から両親から兄弟と繋がって、自分が祖父母になったとき、孫の人格が代わっているのです。

 濁った世界に入り込まないためには、澄んだ世界の人を伴侶にすべきです。自分が濁っていると、断られますけど!

 会話をしても大人は繕い上手ですから、直ぐには解りませんが、家の中を見回して、家族がどんな本を読んでいるかを看れば一目瞭然です。